第七章 早指し対局の弊害と効能



(参考図)


【対局者達を勝手に分類】


 ネット将棋にアクセスしている人々を観察していると、大きく2つのタイプに分けることができる。
 他者の対局観戦あるいは研究重視であまり対局しない「少局精鋭型」と、とにかく対局しまくる「多局消化型」である。(作者は後者)
 勿論その中間的な者もいるし、タイプが移り変わることもよくあるだろう。

 将棋に強くなるにはじっくり読む力を養うことが重要であることは当然である。また、そこに楽しさを見出すことはごく自然なことである。
 切った張ったの手拍子将棋(早指し将棋に多い)では強くなれないと、皆が言うところだし、多くの棋書にもそう書かれている。
 じっくり熟慮して指す将棋の魅力は承知の前提で「早指し」について、作者の独断と偏見を述べていきたい。




【限りある儚い時間】

 ところで、日常において誰しも有り余る時間を持っているわけではない。
 特に勤労者や学生の余暇は限られている。
 一局に1時間以上もかかると「最初からわかっている対局」を始めるにはちょっと躊躇するし、そんな対局には手軽さがない(あくまで作者の感覚)。

 時代はスピード化している。とにかく気軽にサクッと指したい者にとって、持ち時間の多い将棋なんぞやっていられない。サクサク指して短い時間で決着したいのだ。




【早指しの利点】

 早指しには大きな利点がある。それは限られた時間においてより沢山対局ができる。
 これは意外に大きなことだ。つまり以下のような理由による。

 個人の研究では発見できない筋を実戦があっさり教えてくれることがある。

 例えば、自分では形勢よしと判断している局面があったとする。しかし、実戦ではいつも負かされているとする。おのずと自分の形勢判断が誤っていたと認識せざるを得ないだろう。
 つまり自分の勝手な判断(独断)を正すことができる。実戦を重ねるごとにその機会を得ることができる。
 さらに具体例を挙げる。成立する攻めをしているつもりが、あるとき思いもかけないような手で受けられてしまう。よってその攻めは無理攻めだと知ることができるなど。
 作者にとって、膨大な見知らぬ対局相手は最高の師匠なのである。

 作者は実戦で負けまくることにより昇級できた。今にして思うと、対局数が棋力の向上を支えてきたように思う。・・・とは言え客観的にみると、現状ぜんぜん下手の横好き程度であり、あるいは思い違いの可能性も否定はできないが(^^;




【早指しの欠点】

 早指しばかりしていると頭の中で候補手が瞬時に浮かびやすくなり、着手に迷いがなくなる。
 踏ん切りがよくなり、ある意味決断力が身につく。慣れないうちは時間切れ負けを頻発していたが、それはあくまで「慣れ」で自然と解決する。どんなことでもある程度訓練を継続することで適応力が身についていく。

 しかし、その反面早急に判断する癖が身についてしまうことで、じっくり熟考することができにくくなる。
 これは「真に将棋を極めたい」と考える者にとっては致命的に思える。棋力向上において弊害ともなるだろう。プロにはあってはならないことだ。

 また、それ以外にも早指し派には後述するような問題点を誘発する要素が含まれている。



【作者の将棋】

 作者にとっての将棋とは一手30秒の秒読み対局のこと。この条件に特化して強くなりたい。それがすなわち作者にとっての将棋なのである。よって持ち時間のある将棋はまた別物(別のゲーム)である。

 詰みそうだと思えば詰ましにいくし、ぎりぎり詰まないような感じがするなら守備の手を指すというように、あくまでアバウトな感覚である。フィーリングだ。
 全てをいちいち正確に読もうとは思わない。そんな面倒なことは単なる苦行苦痛であって、やってられないし、そんなことをしていては常に時間切れで負けるのが落ちである。

 特に早指しはそうで、さほど読まずとも誤魔化しが利くところが魅力なのである(^^; 作者にとっての将棋はいつでも気軽にはじめられ短時間で決着するゲームであるほうが都合が良い。
 ・・・「だからいつまでも強くなれないんだよ!」とのつまらぬまじめなツッコミには、「うるせぇ!」と一喝するのが吉である(?)w

 余談になるが早指しばかりやっていると当然ながら早指しに強くなる。相手の時間切れで勝ちを拾うことが多くなる。絶対勝てないはずの瀕死の将棋も華麗な(?)逆転勝ちだ(^^;
 「時間切れで勝ってもちっとも嬉しくないよ」と言えれば格好良いが、どんな形であれ勝てればそれなりに気持ちが良いのが正直な気持ちだ。




【なんとしても改めたい悪癖】

 「疲労対局」章でも若干触れたが、作者には敗局した直後にカッとなり「連局モード」に突入してしまうことがある。
 内容の良い将棋をしたと思える場合には、例え負けても心穏やかであることが多く、ある意味爽快であり、悪い意味で「熱く」なっていない。全力を尽くせたなら、完敗であろうが辛敗であろうが関係なしに完全燃焼感を味わえ心地よい。

 しかし、優勢勝勢な将棋を一手バッサリのミス、時間切れあるいは、理不尽な原因(?)による負けを喫してしまったときなどは、自分の愚かさ不甲斐なさ等々に苛立ち、頭に血が上っていることが多い。そして、その気持ちをすぐに発散したくなる。このとき、「魔のスイッチ」が入ってしまうのである。
 これはあくまで作者の場合のことだが、同じような悩みを抱えている方も少なからずいらっしゃるかと思うので再考し喚起したい。

 この現象は、特に「早指し派」に多いように推測する。考慮時間が短くなるほど、「読みの質」は当然に落ちる。読み抜け等の単ミスが多くなる。内容の良い将棋ができず負けたときに、プッツンする(^^; ゆえにスイッチが入りやすい。

 それに加え、早指しは一局当たりの時間が短いことで気持ちの上でも安易に「連局モード」に入りやすい。時間的に一局当たりの「重み」が少なくお手軽ゆえに。(持ち時間が長い将棋だと対局開始に際して、相当な時間を使ってしまうことに対して躊躇しやすく、抑止効果が働き易いものと推測)

 たまに高段者の観戦をするが早指し派が多い。そして、連続対局をしている方を時折見かけることがある。この事象は級位者有段者問わず発生しているように思う。




【愚行は回避せよ!】


 「疲労対局」章でも述べたが、連続対局は疲れる。そして、・・・特に強調するが、「結果的には」間違いなく負ける!!

 作者自身と同人種に強く言い聞かせたい。発作的な連続対局は疲れるだけで得るものがない!不愉快になるのが落ちだ!!愚行以外のなにものでもない。だから連続対局はやめろ!とwww
 ・・・作者にとって「なんとしても改めたい悪癖」である(T_T)




(最後に一言)
 最後まで読んでいただきありがとうございました。「早指し」に関する作者の思いを書いてみましたがいかがでしたでしょうか。
 早指しは好きですが、その反面プロのタイトル戦のごとく持ち時間たっぷりの将棋もやってみたいなと思っています。
 「一手指すのに1時間以上考慮する」・・・この感覚を味わってみたい。しかし、コンピュータ相手にやりたくない。あくまで対人で。しかし、こんな将棋に付き合ってくれる人がいるのでしょうか?(^^;

 では、ごきげんよ〜♪また会う日まで〜♪